眠れなくてニュースを読んでいたら、【松ちゃんも賛成。「安楽死」を求める声が高まってる】と言うコラムに巡り会あった。
安楽死。
ヨーロッパの医学部に通うならば、1年生〜6年生の倫理学に毎年でてくるお題です。
まずは、安楽死と尊厳死は違うんだよね。
コトバンクによると、
安楽死。。。苦痛を長引かせないことを主眼に、人為的に死なせるのが安楽死。薬物を使うなどして死期を早めるものを積極的安楽死、積極的な治療の中止によるものを消極的安楽死と呼ぶこともある。
尊厳死。。。患者の意思に基づいた死期の決定で、日本尊厳死協会などは患者の意思による延命治療の中止を尊厳死と呼んでいる。
この記事の一番最初に言った【松ちゃんも賛成。「安楽死」を求める声が高まってる】と言う記事をみると、彼らの身近な人々の死が苦しいものだった、、、又は高齢社会なのに、無意味な延命治療をするのは間違っている。。。と言う意見が多数。
高齢社会なのに無意味な延命治療をするのは、私も本当に変だと思う。
過去に老人医学病棟で実習をした経験から言わせてもらうと、高齢者たちの無意味な延命治療は本当に見ていて悲しかった。
酸素マスクが無いと苦しくって言葉も喋れない。
良くて一週間に一しか家族は会いに来ないのに、ご飯も自分で食べれない。
点滴をつなげっぱなし。
お風呂もオムツ交換も看護師さんに手伝ってもらわなければならないし、喋りかけてくれる人もいない。
(看護師さんがたまに話しかけたりするけど、看護師さんも忙しい)
好きなテレビや本も見れないし、散歩もできない。
何よりも、自律性(Autonomy)が無い。
会いにも来ない高齢者達の家族は、なんでこんなにひどいことをするんだろう?と思った。
体がシャットダウンしようとしているのに、余分な栄養、水分と薬を与えて、ただ単に命をつなげる。
生きている喜び(Quality of Life)は無いに等しいかったんじゃないだろうか。
私は尊厳死は必要だと思う。
ちなみに、尊厳死に必要不可欠なのは、患者の意思。
患者の意思がはっきりしている時に【○○○○○な状況になったら、延命治療は止めて欲しい】と言う紙を書いて残しておくとか、家族に伝えておくとか、主治医に伝えておくとか。
人間の体って、シャットダウンする時に余計な事をしなければ、キレイに天に召されて行く人が多い。
末期の癌の患者等の為には、薬物を使って痛みを楽にしてあげる事だってできる。
まぁ… 私はマリファナ(大麻)が合法の国にいるし、、、痛みを和らげるための薬を西洋はもっと積極的に取り入れてるのかもしれません(日本の状況はよくわかりません)。
尊厳死。
これからの日本医療が取り戻す必要があるものなんじゃないか?と思う。
でも、私にとって、安楽死はちょっと別だ。
もちろん、安楽死をサポートするお医者さんや医学生だっている。
でもさ、基本的に医者を目指した人って、患者さんが死ぬのを直接的にサポートするために医者にはならないと思う。
多くの医者&医学生は患者さんの病状を治したくって、この道を選んでるんだと思う。
古くさいかもしれないけど、医者は Hippocratic Oath と言うものを誓う。
医学部に入る時も、卒業する時も、この誓詞を宣誓する。
一番有名なのが、 Primum non nocere .
英語は First, do no harm.
『患者に害を与えるべからず』
100人医学生がいたら、中絶専門医になりたがる人は1人いるかいないか。
それと同じように、100人医学生がいたら、安楽死専門医になりたい人は1人いるかいなか。
状況や場合によっては、安楽死は患者の為になるのかもしれない。
安楽死の方法も色々ある。
医者が薬物を注射するパターンや、飲み薬を患者に与えて死期を決定権を完全に患者に任せるパターン。
特に飲み薬パターンなんて、患者は自宅で亡くなるし患者が自己判断で飲むわけだから、そんなに深く考えるこは無いのかもしれない。
でも。
医者が頑張って一人の命を救おうとしている間に、戦争で100人の命が殺されているの事実を目の当たりにすると無性に悲しくなってしまう私。
安楽死賛成、、などの人々の言葉を見ると、悲しくなってしまう私。
まだまだ、ナイーブなのかもしれない。
でも、命に対して鈍感になりたくない。
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p.s. シリアスな記事になっちゃってすみません(´・ω・`) 次はもっとハッピー!な事について書きまーすヽ(○´w`○)ノ